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英語学習

Learning

読むとは頭の行為ではなく体の行為である

さて、英単語を左から順番に映像化していくこと、これが英語で読むという行為だった。英単語からいきなり映像が浮かばない場合は一度日本語に置き換えることになるが、そのときも、必ずその日本語からその映像を頭に浮かべることが大切だった。

ところで、映像を浮かべるために英単語から一度日本語にしてみても、頭の中にその映像が浮かばないというときは、実は日本語がわかっていないか、あるいは、実人生において、それに出会ったことやその経験がないということである。

前者においては、英和辞書以前に国語辞書が必要だ。暗記している英単語に対応する日本語の中に、本当は意味のわからないものが意外とあるのかもしれない。 たとえばexclusiveという単語には、よく「排他的」という日本語を対応させて覚えるようだが、「排他的」という日本語の意味がわからなかったら、 exclusiveという単語の意味は知らないのと同じことになる。そのまま暗記をしていてもまったく意味はない。

後者について。英語を読んではもちろん、たとえ英単語を日本語に一度置き換えようと、置き換えた日本語の意味がわからないのでそれを国語辞書で調べよう と、頭の中にその映像が「見」えないことだってある。そういうときは、実人生において、それに出会ったことやその経験がないということも考えられる。その 時は、語学力が云々というのを越えたところに問題がある。その「見」えない部分をはっきりと「見」たければ、勉強はやめて、ただちに遊びに行って経験して くることが大切だ。でないと、その部分は一生「見」えない(=わからない)。

つまり、読むという行為は、映像を第一とするとき、もはや文法や語彙といったものを超え、おのが実人生の体験すべてで読むことになる。そこに、経験と知性 が絡み合う、大いなる場が展開されると、僕は考える。外国語を理解するとは、頭だけでは決してできない。読みという行為にそくして言えば、読むとは、頭で はなく、体を使って読むのだと僕は考える。本にある内容についての「体験」がない人は、その本を読んでも本当はよくわからない。恋愛小説がわかりたけれ ば、恋愛をすべきである。したがって、「よく遊び、よく学び」とはよく言ったものだ、ということになる。